気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

コートジボワールはなぜ自然国境なのか

「ヨーロッパの地図とアフリカの地図を比べて違うのはなんでしょう。」

200万年前にアウストラロピテクス、40万年前にホモサピエンス、20万年前にミトコンドリア・イブそして暗黒大陸、大航海時代、奴隷、植民地。

世界史でアフリカの文字を見れる数少ない授業だったと思うのだけれど、この質問の答えはヨーロッパの国境が川や山の自然国境である一方で、ヨーロッパがテーブルの上で勝手に国境線を引いたのでアフリカは「人工的でまっすぐな国境」で、だから今でも紛争が絶えません」とのことだった。確かにそのときは地図を見てなるほど、と思ったのできっとニジェール、マリあたりを見たのだと思う。

その下のコートジボワールまで当時目がおりて行かなかったのは、よく見てみるとコートジボワール国境って四方とも、山や川が国境で自然なのである。おっと、ご安心ください、日本の教育に置けるいいかげんなアフリカの見方をあげつらおうというのではなく(最近マンネリ化してきたし)、肝心なのはその理由である。

なぜなんだ?コートジボワール人に聞いてみた。

「あ、気がつかなかった」「フランスの形に似せるため」

コートジボワールの誇れる歴史があるのかと思いきや、なんとも肩すかしな答えなのである。しかし、これくらいであきらめる私ではない。何か理由があるはずだ。私のなぜなぜ攻撃にコートジボワール人スタッフが2人がかりで歴史の教科書や口コミで調べて出て来た意外な答えはー

なんと、「現場力」。

ガーナ側はイギリスと、リベリア側はリベリアと交渉した際に、コートジボワールには既にイギリス人もフランス人もかなり入っていたので、双方が現場で交渉したおかげ、らしい。嘘のような、本当のような…。