気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

情けはコートジボワールのためなのだ

コートジボワールというか、西アフリカ周りで共通している文化に「ソリダリテ」=連帯という文化がある。良く言えば相互連携、絆、悪く言えばたかりの文化である。部族であったり、出身地であったり、大家族に共通点があると、お互いに助け合って生活していて、かっこ良く言えばこれが社会のセーフティネットなのだ。この強さは日本の田舎と比べてもその比ではなくて、ちょっと日本人には理解しがたいとこがある。ということは逆から光を当てると、稼ぎが有る人はこの絆に身ぐるみをはがされていて、実際、我が社のスタッフのような安定した収入がある人は、いとこのはとこみたいな人まで面倒を見るハメになっているのである。彼ら曰く、「もちろん、貯金もしたいけれど、情けは人のためならずなんだよ、マダム」。

話は変わって、最近日本のマスコミがよく来ている。これはありがたい。はっきり言って、アフリカとはいえど、サファリも資源もなければ、国名が「象牙海岸」のくせに象がわんさかいる訳でもないコートジボワールに日本人は興味が無いのであって、そうすると日本メデイアは必然的に少なくなる。それが、ありがたいことにワールドカップの力は強く、最近10日に1社のハイペースで日本メデイアが取材に来てくれている。

さらにしめたことに、コートジボワール全土で日本人が50人ほどとなると、必然的に我が社関連の活動がかなり多くなるので、結構コンタクトをとってくれる。これはありがたい。普段ラブコールを送ってもなかなか振り向いてもらえないだけに、来た獲物は逃がさないのである。それに何より、現場には自信がある。専門家もカウンターパートもプロジェクト内容はもちろんその現場にかける思いを、苦労をぜひ日本人に知って欲しいと思う。そして普段は気がつかない日本の良さが、地球の裏側でこんなに評価されていることを。そのためであれば、サブ準備、ロジ支援とも大抵のことは大したことではない。

とはいえ、時に獲物に逃げられることもある。コートジボワール人相手で、アポのいきなりキャンセル、2時間待ち、その他もろもろには慣れているつもりだけれど、いろいろ****にも関わらず(公共の電波にはお乗せできません)、無しのつぶての時には邪悪な気持ちがむくむくと湧きかける。

しかし身ぐるみはがされているスタッフをみつつ、自分を引き止める。いや、重要なことは、コートジボワールのことが、何はともあれ日本に紹介されることなのである。情けはコートジボワールのためなのだ、と信じつつ、次の取材ご案内の準備を進めるのである。