気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

はい、ご主人様

休暇から帰って来たら季節が変わっていた…なんてことはなく、相変わらず晴れ時々、雨時々、曇りの日々が続きもっぱら暑いし、湿気がひどい。こういうときは、引きこもるに限る。今回は休暇先で沢山本を買って来たので引きこもりも充実している。

その一冊が、Oui patron (はい、ご主人様)」という本。12人のアビジャンの家政少年のインタビュー記録で、そのうちの1人はアビジャン最盛期の1970年代にブルキナファソから職を求めてアビジャンに来て、複数の日本人商社マンに使えた少年なのだ。

何と言ってもタイトルがいい。こっちの人は「Oui, Patron」とすぐ言うけれど、はっきり言ってちっとも「Oui」ではないのだ。確かにOuiの時もあるけれど、その場しのぎであること90%。その心を探りたい。そして、家政少年たちの目からみて日本人はどう見えているのか。これも知りたい。

よんでみるとこれが結構よく見ている。

−日本食を作るのは本当に難しい。小さい皿が沢山あって、おかずも沢山作らなければ行けない。イタリア人に使えた仲間はパスタ一皿で楽そうだった。

−日本人は人種差別をする。パトロンと同じコップで飲んだり、冷蔵庫の水を飲んだりするのを許してくれなかった。あと、お手伝いはお手伝いで、ドライなんだ.親戚が大変だからっていってもお金をくれないんだ.

−日本人は始めはきれいにしているんだけど、そのうちお手伝いがやると分かると、だんだんお皿とか洗ってくれなくなるんだ。

−日本大使館にはお手伝いリストがあって、一度でも日本人の家で盗みをして首になったりすると、日本人には2度と雇ってもらえないんだ。

解釈は違っている部分もあるけれど、結構よく見ている(大使館にリストはないけれど、口コミで盗みを働いた人が次も日本人に雇ってもらえることはまずない。)。そして、アフリカの良く言えば連帯感、悪く言えばたかりの文化はなかなか日本人には全ては受け入れにくい。私にとってもはっきり言ってお手伝いさんはお手伝いさんだ。でも、これが人種差別と解釈されているとは心外だ。

まぁ、とりあいず、お皿を洗うところから始めるか。。。