気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

人間は忘れるから生きて行ける

とは良く言ったもので、まぁ一部はただしい。過去の恥ずかしいことも、嫌な思い出もいつまでも引きずっていたら生きて行けない。 

ただ、近視眼的に言えば、そんなのはウソだ。世の中には忘れない方が良いことが沢山ある。百歩譲って忘れるから生きて行けるとしても、忘れた方がいいことと忘れない方がいいことを比べたら、忘れない方が良い方が間違いなく多いと思う。

 

なぜここまで憤っているのかというと、我ながら最近の自分の脳の言語体系に愛想を付かせているからだ。

まずは憎っきフランス語。毎日覚えても、覚えても忘れる。いったいどういうことか。だいたい一つの動詞の活用に95パターンあるのは正気の沙汰ではない。過去は過去でいいじゃないか。主観的でも、客観的でも、大昔でも、継続していたって、過ぎたことなんだから大勢に影響ないじゃない。それがそれぞれに活用形が違うなんて!

 

 

ただ、新しいものを覚える時に忘れるのは100歩譲っていいとして、さらに許しがたいのは身につけていたはずのものを忘れていくことだ。

 

しかし、それが現実に生じている.最近英語をしゃべろうとすると出てくるのはフランス語なのだ。フランス語では、結構、日本語と同じように主語+目的語+動詞の語順になるし、形容詞はだいたい後ろから名詞を修飾する。そして冠詞は必ず必要だ。全て脳がこの思考になれてしまっていて、 なんとも意味不明な英語を組み立てている自分がいる。 これはゆゆしき事態だ。中学、高校ととにかく英語が好きで、大学も英語を極めるために選んだ。これが功をそうして英語を完全に道具にできたとおもっていた、ら、この始末。

 

そして絶望するのがこの方程式

フランス語の伸び具合<英語の落ち具合

 

どれもこれも人間が忘れるせいだ。やっぱり忘れない方が良いに決まっているのだ。