気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

3回目の君が代、時々来るハレの日

暑い12月、汗を流し、寄ってくる蚊を気にしながら、このどんよりとしたアビジャンの空のもとで君が代(アレンジ、明るめ)を聞くのは今年3回目ー1度目は、1月の安倍首相訪問時、2回目は6月のワールドカップ日本戦、3回目が、天皇誕生日記念式典だ。しかも、1回目は3日ほど徹夜した後、2回目はイベント真っ最中、と2回続けて記憶が飛んでいるので、こうやって落ち着いて聞くのは初かもしれない。高校生の頃は生意気に国家斉唱で口パクなんかしたりしていたけれど、年齢と所変われば、感情も変わる。地球の裏側から、やっぱり、日本っていいなって思うのである。

世界共通だとは思うのだけれど、親会社は毎年この時期に、日本人とコートジボワール政府やコミュニティを招いて、天皇誕生日のお祝いをする。両国の挨拶があり、日本食が振る舞われ、これの争奪戦が繰り広げられるのである。

普段は拷問に近い長い挨拶を遠くなる記憶とともにきいていたら、ふと「今年は両国にとって非常に良い年でした。インフラ分野では○○プロジェクトの準備が進んでいます」との一言があった。短い一文で、長い挨拶の一部だけれど。

日本は、世界で最も発展している国の一つだけれど、唯一の国ではない。しかも予算については火の車、我が社の予算も輝かしい時代を振り返ると見る影も無い。そうしてアフリカは(特にコートジボワールは)、もはやいわゆる「アフリカの貧しい国」ではなく、人口480万人のアビジャンには、ベンツやアウディが走り、スマートフォンが流行し、スーパーでは、かご一杯に買い物する層が結構な厚みでいるのである。そして仕事相手はアメリカやフランスでマスターをとっている人だって少なくはない。

必然的に日本の技術と予算をバックとする我が社の活動は厳しいものとなる。このプロジェクトだって、去年の7月から、コートジボワール人と工事の期間、費用、進め方、設計、一つ一つ、シュラバがあり、時には資料を机に叩き付けて、準備を進めてきたものだった。

君が代も、こうやって、時々くる「ハレ」のひもいいな、と勝ち取ったのり巻きとお稲荷さんを食べながら思うのである。