気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

象の希望

「本当はもっと出席者が多いはずだったんだけど今日は、悲しみに打ちひしがれてこれないスタッフが多いんです。」 これから始まるプロジェクトの打合せでコートジボワール政府が開口一番発言する。

確かに先方は5人だけでいつもより明らかに少ない。しかし、こちらも負けじと、 「本当は会議ではまず、部長に出席頂いたことを感謝しなければなりませんが、今日は私の悲しみからお伝えしたいと思います」と、当然とばかりに返す。

 

そう、アフリカネーションズカップの予選Dグループをトップで突破したFIFA世界ランキング14位のコートジボワールが、52位のナイジェリアに2対1で負けたのだ.今朝の挨拶はどこでも「残念だったね。」で始まる。まるで、国民が喪に服しているような気配だ。

そんななか、会議がキャンセルにならなかっただけでもありがたい。それほどまでにここでサッカーは神聖なものなのだ(ちなみに、東京のコートジボワール大使館にはドロクバの等身大の模型があります。大統領は写真だけですが)。

 

コートジボワールだけでなく、アフリカでサッカーは信じられないほど浸透している。一番驚いたのは南スーダンの国境係争中の間近でもみんなボールを追いかけていたことだ。 ところが、今、これまでに広がったサッカーとアフリカの歴史は皮肉と言われている。19世紀半ば、サッカーはヨーロッパ人によるアフリカ人の「文明化」「服従」のための道具として到着した(教会でプレイされることが多かったとか)。しかし、それは瞬く間に、ヨーロッパ人が到着した沿岸部から内陸部に広がり、出稼ぎ労働者の希望となり、独立時にはその熱気維持に一役買ったのだ.そして今では、アフリカの少年たちのアメリカンドリームならぬヨーロピアンドリームとなっている。

 

ま、始まりは何であれ、政府の国民和解のかけ声よりもよっぽど人々を統合できるスポーツの力はすごいです。しかし、ここで負けてはいられません.会議の締めには「このプロジェクトが、象のように(コートジボワールナショナルチームの愛称)、人々に希望を与えるようベストを尽くしましょう」と、私から一撃。先方は苦笑いでしたが。