気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

人工物に政治はある

今朝のラジオで「開通したばかりのベディエ橋からお届けします」との特集があった。クリスマス休暇で家族が集まったり、みんな時間があるので、橋が人々の新たな観光地のようになっているという。1月2日まで「大統領からのカドー(プレゼント)」で通行料が無料になったこともあり、内陸からも橋を渡るために人が来たり、家族が散歩したり、写真スポットが出来たりしているらしい。

多分、私がインフラを好きな理由はこの辺りにある。

「人工物に政治はあるか」学生時代に学んだなかで私の最も好きな論文の一つで、「橋のマスター」の異名を持つ都市計画家で、20世紀のニューヨークのインフラを形作ったモーゼスにまつわる話である(詳細はラングドン・ウィナー「鯨と原子炉」をどうぞ)

モーゼスが手がけた数多くのインフラの一つに「モーゼスの橋」と俗に呼ばれる橋がある。これは桁下高が多少低くて大型車がその下を通過できないことをのぞけば、一見なんて事はない陸橋である。しかしそこでアクセスが拒まれている大型車の代表例であるバスは、黒人や貧困層の乗り物で、実はこの陸橋、その向こう側の高級街にこれらの人がアクセスが出来ないように計算されていたのである。そしてバックグラウンドを良く調べてみると、モーゼスは人種差別者であったという。インフラ(人工物)を用いて、自分の政治的意図を人々に気がつかれること無く密かに達成したというのである。

例えば、憎しみあっている人たちに、頑張って一緒に生きましょう、と訴えたり、皆を集めて研修をやるのも悪くはないけれど、日々の生活を過ごす人々に「頑張る気持ち」をちょっとやそっとの事で作るのは難しいし、それを長続きさせるのはもっと難しい。

一方で、学校や水道や保健所といった具体的なインフラを作ってしまえば、別に人に呼びかける必要なく、人々を集めることができる。逆にそれを計算してよい方に導くことだってできるし、それに、人間の感覚として、新しいものは嬉しいし、「物くるる友」はやっぱり、いい友なのである。

ということで、私も観光客の一員として、一般車通行が可能になったベディエ橋を早速渡ってみた。そこに政治的意図は確かにある。橋は大統領邸と空港を直接結ぶ線の上にあり、開通式典で「これで私は空港に10分で行けるようになる」と言っていた。そして、開通のタイミングは2015年大統領選挙に向けたこの時期だし、式典では民衆に2億FCFAの現金が「プレゼント」として配られた。それにこの名前。第2代大統領で、現在の連立与党党首名なのだけれど、2ヶ月前、2015年選挙で連立与党から候補を出さず現大統領を支持すると決めた党首でもある。

それでも、私は良いと思う。政治的意図はあれど、確かに両岸の200万の人は道路を手にいれ、渋滞緩和が実現した。そして、全体に人々が集まる場を提供し、途中の陸橋を散歩したり、ぼんやり車の流れを眺める人もいたりして、人々が自然と集まる場になっている。

大統領が「みんな一緒に平和になりましょう」なんて言うよりも、もっと簡単に。