気仙で暮らし、働く

当事者として復興・まちづくりに携わりたいと移住した気仙での日々のこと、暮らしのことをつづります。

コートジボワールから気仙へ

「ばっ!アフリカってすんごい動物がいるんだっぺ?」

(※「ばっ」とは気仙語で「わぁ、びっくりした」という意味。あまちゃんの世界でいえば「じぇ」で、驚きが多いほど数が増える)

移住して2ヶ月。よく聞かれる質問で、確かにそうなのだけれど、私は気仙(大船渡、陸前高田、住田、気仙沼あたりの地域)だって結構いいセンいっていると思っている。だって、ちょっと窓の外みるとリスが走っていったり、仕事が終わって帰り道には「鹿に気をつけてね」と声をかけてもらったり、なんと金曜日には「クマ出没注意報」が出た。気仙サファリパークだって立派に成立しているぜ、と、似た環境に密かに喜びを感じている。

同じく、良く「ばっ、なんだって、こんなどこさ来た?」(訳注:まぁ、まぁ、どうしてこんな所に来たの?)と言われるけれど、私にとっては、これまで歩んできた道の延長線上

まずは何より、アフリカ(むかつくことはいっぱい有るけど)は、私の大好きな土地。そして、気仙も9年前の出会い以来、あたたかい人と素晴らしい風景と美味しい食べ物に魅せられ大好きな土地。

それに、ちょっと真面目なことをいえば、世界の復興・まちづくりの世界では、まず停戦後3年くらいまでが緊急支援の時期と言われている。この時期には、政府、民間、NPO、ボランティア様々な人たちが善意で関わってくれる。そしてその時期をすぎた、4年以降は「復興・開発」の時期にはいり、産業をつくり、長い目で社会を持ち上げて行こうとする時期に入る。東北もそれはまさに今が産業を作り、伸びて行く大事な時期にさしかかっているのを実感する。

さらに具体的に言えば、復興庁がまとめた「復興4年間の現状と課題」では、「①被災者支援、②公共インフラの復旧、③住宅再建・復興まちづくり、④産業・なりわいの再生、⑤福島の復興・再生」が主要課題としてあげられている。一方、私がこれまで関わってきた世界では「①インフラの整備、②経済活動活性化、③行政・コミュニティ作り、④治安の回復」を掲げていて、これまた似た環境。

そんなわけで、移住してきたこの気仙。この気仙で、暮らし、働く、日々をお伝えしていきたいと思います。

大統領の叙勲式挨拶(ウラの世界)

日本社会の曖昧な愛想笑いや、イギリス社会のブラックユーモアや、フランス社会のとりあいずしゃべるところなど、それぞれの文化でそれぞれの「社会の潤滑油」のような事があるなかで、コートジボワール人社会では、生活にしろ、仕事にしろ、遊びにしろ、その役割が「ちょっと皮肉」にとらえて「笑いをとる」ことのような気がしている。

だから、アフリカで多くあるイメージの一つに、独裁者がいて住民がとことん搾取されていたり、政治家が好き勝手やって、人々は窮屈に息苦しく生きる、というのがあるけれど、それよりも、コートジボワールの人々は、社会をよく観察し、この30年にわたる政治に蹂躙された「危機」の時代も「笑い」をとって、したたかに、たくましく生きている。

そういうわけで、大統領の叙勲式挨拶もテレビを見ながらこんなつっこみをしては笑っているのである。

原文「23年、実に4半世紀待ち続けました。」

ツッコミ「23年、実に4半世紀私は待ち続けました。当時、私は首相でした。大統領になるために実に20年かかりました。」

原文「エレファンツのゴールデンジェネレーションは、この黄金の優勝カップだけでなく、コートジボワールに栄光をもたらしてくれました」

ツッコミ「エレファンツのゴールデンジェネレーションは、この黄金の優勝カップだけでなく、私に選挙キャンペーンをするチャンスを与えてくれました」

原文「勝利というたった一つの目的のために、、、」

ツッコミ「2015年大統領選挙勝利と言うたったひとつの目的のために、、、」

原文「ことわざにもあるように、2度あることは3度あります、2017年の優勝カップも狙いましょう!」

ツッコミ「ことわざにもあるように、1度あることは2度あります、2015年の大統領選挙も狙いましょう!」

原文「エレファンツに幸あれ、勝利するコートジボワールに幸あれ、共和国に幸あれ」

ツッコミ「エレファンツに幸あれ、ワタラ政権に幸あれ」

涙ぐんだり、腹がよじれるほど笑ったり。感情の起伏豊かに生きている人々の間で私も感情豊かに生きている気がするし、そして、この、ちょっとナナメに物事をみるーコートジボワールの水が私にあっている理由が、この辺りにもある気がするのである。

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写真:優勝パレード。大統領車(先頭)に大統領とヤヤ・トゥーレが乗りパレード。式典で選手の何人かに「私はワタラを支持します」というTシャツを着せた。

叙勲式の大統領挨拶(オモテの世界)

親愛なるエレファンツ、ご参集の皆様、

23年、実に4半世紀待ち続けました。このアフリカカップを前に、今、夢が現実となりました。ブラボー、エレファンツ。なんという幸せでしょう、なんという気持ちでしょう。

我々のヒーロー、エレファンツ、ありがとう。我々は、この優勝で、勇気、連帯、調和、そして決意することの重要さを目の当たりにしました。エレファンツは、勝利というたった一つの目的のために、協力し、連帯し、そしてチームを立て直すことに成功しました。エレファンツの一人一人がそれぞれのために、そして何より全てのコートジボワール人のために、そして国のために勝利を望みました。我々は、今、このすばらしい国の国民であることに大きな誇りを持っています。

エレファンツのゴールデンジェネレーションは、この黄金の優勝カップだけでなく、コートジボワールに栄光をもたらしてくれました。あなた達を誇りに思います。エレファンツ、コートジボワール全国民から、ありがとう。

(このあと関係者へのお礼が続く)

この勝利には、ある12人目のプレーヤーも貢献したと言えるでしょう。このメンバーは全ての試合でスタジアムに姿を現し、どのような結果でもエレファンツに寄り添いました。それは、あなた達です。コートジボワールのみなさん、これは、一人一人のコートジボワール人の勝利なのです。

国民の皆さん、

我々のエレファンツは、コートジボワール人一人一人に道しるべを示してくれました。連帯し、ともになり、平和をつくることを。そして、連帯することで勝利し、コートジボワールという国を前に進めることが出来ることを。

親愛なるエレファンツ、

チームがピッチで一つになったことにより、コートジボワール国民は連帯し、和解することで勝利し、そして輝くことが出来ると証明しました。まさに、コートジボワールの未来を示してくれました。

国民の皆さん、私は国民の一人一人が、エレファンツが私たちに深く刻んでくれた価値感を持っていて欲しい。向かい合い、チームで戦い、フェアプレイの精神を保つことを。欠点を直せるように、必要なときはパスを出せるように、信頼できるように。エレファンツが見せてくれたこれらの価値観を、この美しい国が実現できるようになって欲しい、と私は願います。エレファンツがお手本を見せてくれたように、信頼しあいましょう。

エレファンツ、最も高い位置にコートジボワールの色を掲げてくれました。誇りとともに敬意を表します。ことわざにもあるように、2度あることは3度あります。今回が1992年に続き2回目ですから、2017年の次の優勝カップも期待しましょう!

親愛なるエレファンツ、

改めて、全ての国民からの心からの喜びと誇りと感謝を伝えます。あなたたちは、未来二向けてコートジボワール人が一つになるための大きな機会を提供してくれました。コートジボワールは素晴らしい国で、新興国入りに向けてまっすぐ進むでしょう。そして、あなた達のおかげで、今、和解がもたらされているのです。

エレファンツに幸あれ、勝利するコートジボワールに幸あれ、共和国に幸あれ。

ありがとうございます。

(※意訳、抄訳有。原文は以下、大統領府HPより



トロフィーか、油田か

いよいよ明日に迫ったアフリカネイションズカップの決勝。代表のユニフォームが飛ぶように売れ、どこからとも無くサッカー場で吹かれる「ぷぁ〜」というラッパの音が聞こえている。物売りもどこから調達したのか、ナショナルチームカラーのオレンジの帽子や旗やマフラーを手にしており、国中が浮き足だっている。

決勝のガーナはワールドカップでドイツと引き分けたアフリカ強豪国の一つ、アフリカ広しなのに、この西アフリカの隣同士が戦うのである。明日、衛星でこの地域を見たらひときわ輝いて、揺れ動いているにちがいない。

そのコートジボワールとガーナ、お隣同士で良くある話ではあるけれど、国境紛争を抱えている。2007年にガーナが発掘したオフショアのジュビリー油田周辺をめぐる争いである。85000バレル/日の生産量で、経済成長8%(2015年予測)のガーナ経済を支えている。そして、確かに地図を見てみると、このあたり、微妙にコートジボワールにもかかっている気がする(だいぶ、コートジボワールの色眼鏡ですけど)。

そこで、この油田がどっちの国に属するかを巡って、両国は10回以上のラウンドテーブルを実施してきたものの、合意にたどり着けず、2014年ガーナ政府は海洋法に関する国連条約に基づき、コートジボワールを訴えたのである。

そんななか、一昨日、準決勝でガーナは赤道ギニアに3-0で圧勝して、コートジボワールとの対戦が決まった。

私「ガーナになったね。これは厳しい戦いだね!」

友人「大丈夫だよ。勝つから」

私「もう、石油はいいからトロフィーが欲しいよね」

友人「何言ってるのマダム。トロフィーも、石油も勝ってとるんだよ。トロフィーはルールに乗っ取って、石油は国際法に則って。正々堂々とね。ちゃんとお互いの政府だって国際ルールに基づいて、平和裏に裁判で解決しますって宣言してるんだから。

これは、これは恐れ入りました。すみません、以外に冷静なコートジボワール人でした。一番浮き足だっているのは、私かもしれない…。

 

大統領の耳にささやく男

西アフリカ関係者必読のJeune Afrique紙がこう名付けた男がいる。

コートジボワールの政治家って、私が今まで会った中で最も難しい職業じゃないかと思うことがある。突然50年前に線を引かれた四角い地域のなかにいた60以上の民族が、はい、君たちが今日からまとまって国として独立しなさい、と言われたかと思えば、日本の1/100の予算で、日本の1/5の人口を養って行かなければならないし、それまで厳しい自然のなかで民族としての統治ルールのなかで平和に生きてきたにも関わらず、民主主義なるもののを与えられ、国を運営しなければならないからである。

そして、3年前の記憶に新しいとおり、一つのほつれは、涙を流しながらの辞職でほとぼりさめれば復活なのではなく、良くて亡命、悪ければ暗殺に直結する、そういう世界を生きているのである。

そんな命をかける政治家の判断を支える男がいる。政治家筆頭、ワタラ大統領は、政策判断のために自分専属の特別アドバイザーを置いていて、そのなかでインフラ分野を努める人物が、「大統領の耳にささやく男」と呼ばれている。文字と役割どおり、国のインフラ政策の意思決定を担う人物である。

そして、このインフラの4文字が示す通り、当然プロジェクトも色々、影響を受ける。さすがに命をかけている人を支えてるだけあって、こんなツメツメの仕事をするコートジボワール人、見たことがない。

まず、とにかく情報収集に余念がない。それは人口の数であったり、将来予測であったり、道路の線の弾き方であったり、時にプロジェクトを越えて「日本で良い事例はないか」など、とにかく情報に貪欲なのである。

そして、その権力は絶大なのである。政府のパートナーや日本人があの手この手で情報を手に入れようとしても、3ヶ月たっても何も入手できない、なんてことはザラな世界で、鶴の一声とは、まさにこのこと。すぐに情報が手に入るのである(それが、存在していれば)。

そして、とにかく正論なのである。議論はプロジェクトを自分のものにするため、議論のなかから良いアイデアが生まれて行くとのモットーで、コメントが的を得ていないと「質問に答えていないやり直し」なんて、さすがのコートジボワール人もしゅんとするやり取りが繰り広げられる。

ということで、このささやく男との打合せがある日は、私も政府のパートナーやスタッフに色々聞きながら、作戦を練っていく。

「いや、本当に助かってるよ。毎回こうやってつきあってくれてありがとうね」

打合せの前にしんみりとお礼を言うと、

「はは、僕は「マダムの耳にささやく男」だからね。いつか、Jeune Afrique紙にのれると思ったら安いもんだよ。マダムとのこの厳しいやり取りで、大分事前に調べたりするようになったよ。」

なんと、すいません。割となまぬるい中を生きている生粋の日本人ですが、これは期待に応えない訳にはいかない。

「そうね。30年後、Jeune Afrique紙に2人でのれるよう頑張りましょ」

「30年かぁ!長いなぁ」

「そうだよ。ワタラ大統領は73歳、ささやく男は62歳じゃない。まだまだよ。」

ということで、30年後をお楽しみに。

人工物に政治はある

今朝のラジオで「開通したばかりのベディエ橋からお届けします」との特集があった。クリスマス休暇で家族が集まったり、みんな時間があるので、橋が人々の新たな観光地のようになっているという。1月2日まで「大統領からのカドー(プレゼント)」で通行料が無料になったこともあり、内陸からも橋を渡るために人が来たり、家族が散歩したり、写真スポットが出来たりしているらしい。

多分、私がインフラを好きな理由はこの辺りにある。

「人工物に政治はあるか」学生時代に学んだなかで私の最も好きな論文の一つで、「橋のマスター」の異名を持つ都市計画家で、20世紀のニューヨークのインフラを形作ったモーゼスにまつわる話である(詳細はラングドン・ウィナー「鯨と原子炉」をどうぞ)

モーゼスが手がけた数多くのインフラの一つに「モーゼスの橋」と俗に呼ばれる橋がある。これは桁下高が多少低くて大型車がその下を通過できないことをのぞけば、一見なんて事はない陸橋である。しかしそこでアクセスが拒まれている大型車の代表例であるバスは、黒人や貧困層の乗り物で、実はこの陸橋、その向こう側の高級街にこれらの人がアクセスが出来ないように計算されていたのである。そしてバックグラウンドを良く調べてみると、モーゼスは人種差別者であったという。インフラ(人工物)を用いて、自分の政治的意図を人々に気がつかれること無く密かに達成したというのである。

例えば、憎しみあっている人たちに、頑張って一緒に生きましょう、と訴えたり、皆を集めて研修をやるのも悪くはないけれど、日々の生活を過ごす人々に「頑張る気持ち」をちょっとやそっとの事で作るのは難しいし、それを長続きさせるのはもっと難しい。

一方で、学校や水道や保健所といった具体的なインフラを作ってしまえば、別に人に呼びかける必要なく、人々を集めることができる。逆にそれを計算してよい方に導くことだってできるし、それに、人間の感覚として、新しいものは嬉しいし、「物くるる友」はやっぱり、いい友なのである。

ということで、私も観光客の一員として、一般車通行が可能になったベディエ橋を早速渡ってみた。そこに政治的意図は確かにある。橋は大統領邸と空港を直接結ぶ線の上にあり、開通式典で「これで私は空港に10分で行けるようになる」と言っていた。そして、開通のタイミングは2015年大統領選挙に向けたこの時期だし、式典では民衆に2億FCFAの現金が「プレゼント」として配られた。それにこの名前。第2代大統領で、現在の連立与党党首名なのだけれど、2ヶ月前、2015年選挙で連立与党から候補を出さず現大統領を支持すると決めた党首でもある。

それでも、私は良いと思う。政治的意図はあれど、確かに両岸の200万の人は道路を手にいれ、渋滞緩和が実現した。そして、全体に人々が集まる場を提供し、途中の陸橋を散歩したり、ぼんやり車の流れを眺める人もいたりして、人々が自然と集まる場になっている。

大統領が「みんな一緒に平和になりましょう」なんて言うよりも、もっと簡単に。

3回目の君が代、時々来るハレの日

暑い12月、汗を流し、寄ってくる蚊を気にしながら、このどんよりとしたアビジャンの空のもとで君が代(アレンジ、明るめ)を聞くのは今年3回目ー1度目は、1月の安倍首相訪問時、2回目は6月のワールドカップ日本戦、3回目が、天皇誕生日記念式典だ。しかも、1回目は3日ほど徹夜した後、2回目はイベント真っ最中、と2回続けて記憶が飛んでいるので、こうやって落ち着いて聞くのは初かもしれない。高校生の頃は生意気に国家斉唱で口パクなんかしたりしていたけれど、年齢と所変われば、感情も変わる。地球の裏側から、やっぱり、日本っていいなって思うのである。

世界共通だとは思うのだけれど、親会社は毎年この時期に、日本人とコートジボワール政府やコミュニティを招いて、天皇誕生日のお祝いをする。両国の挨拶があり、日本食が振る舞われ、これの争奪戦が繰り広げられるのである。

普段は拷問に近い長い挨拶を遠くなる記憶とともにきいていたら、ふと「今年は両国にとって非常に良い年でした。インフラ分野では○○プロジェクトの準備が進んでいます」との一言があった。短い一文で、長い挨拶の一部だけれど。

日本は、世界で最も発展している国の一つだけれど、唯一の国ではない。しかも予算については火の車、我が社の予算も輝かしい時代を振り返ると見る影も無い。そうしてアフリカは(特にコートジボワールは)、もはやいわゆる「アフリカの貧しい国」ではなく、人口480万人のアビジャンには、ベンツやアウディが走り、スマートフォンが流行し、スーパーでは、かご一杯に買い物する層が結構な厚みでいるのである。そして仕事相手はアメリカやフランスでマスターをとっている人だって少なくはない。

必然的に日本の技術と予算をバックとする我が社の活動は厳しいものとなる。このプロジェクトだって、去年の7月から、コートジボワール人と工事の期間、費用、進め方、設計、一つ一つ、シュラバがあり、時には資料を机に叩き付けて、準備を進めてきたものだった。

君が代も、こうやって、時々くる「ハレ」のひもいいな、と勝ち取ったのり巻きとお稲荷さんを食べながら思うのである。